あけてくれ
しかし、彼もキャリアの初期においては、多くの「魔法」を持っていた。別な言い方をするならば、「音」それ自体は大して重要なポイントではない。重要なのは、「音」を通して出てくるモノの方なんだ。しかし、最初のほうで我々が話し合ったように、もしプレイヤーがよりフォーマルなエリア(註:レストランとかバー、もしくはパーティー・バンドといったような環境)での活動ばかりに従事していれば、クラプトンのようなクリシェの(ありふれた/常套的な)技法ばかりがプレイの土台になるのも致し方ないことだろう。「魔法」というのは、音にしみ込んでいる、といったようなモノではない。
殆どのギタリストは、ギターを演奏することに夢中になり、音楽には夢中にならない。それゆえ、多くのギタリストは得てしてひどく退屈な存在なのだ。

いつもとっても哲学的なお話しかインタビューでも残されないし、ネット社会になって以降フリップ先生が続けてる公式ブログでも、そこに残されている文章はいつもどれも難解極まります。
 
ですが、ここにとっても面白いインタビュー原稿があります。それは1974年、丁度「レッド」を制作する直前に行なわれたロバート・フリップ・インタビューです。インタビュアーはもちろんスティーヴ・ローゼン氏。例によってこのインタビューはアメリカのギター雑誌「GUITAR PLAYER」誌の74年5月号に掲載されたものです。

 このインタビューの何が面白いかといえば、まずひとつは機材の話を中心にインタビューが進められていること。(略)
 
歴史的な価値ももった文献、と言えます。当然ながら使用ギター、エフェクター、アンプ、セッティングに関してここまで集中的に回答したインタビューはなかなかありません。

my-wanton-self:

shogunofyellow:

nature is rad

Freaking amazing photography!

基礎が分かるとは,「基礎とは何であるか」が分かることです.
吉田武『素数夜曲 女王陛下のLISP 』p.57 (via nozma-books)
ダーウィンのビーグル号航海記にこんな話がある。1832年。南米に到着して調査を始めた若き日のダーウィン。当時の南米は征服者である白人、白人と現地人の混血、抵抗するインディオ、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人。これらが相争い、あるいは脱走し、あるいは虐げられる世界だった。今と同じと言えば同じかもしれないが、わずか200年あまり前、奴隷制度と人買い、人狩り、大量虐殺が堂々と行われていた時代であった。
 
 ダーウィンは途中、花崗岩の丘を通過した。聞けばここは以前。脱走した奴隷たちが隠れ住んだ場所だという。しかし、兵士が送られ脱走奴隷たちは次々に捕まった。最後の一人は老いた黒人の女性だった。彼女は奴隷生活に戻ることを拒否して、丘の頂上から身を投げて死んだ。
 
 ダーウィンはこれを次のように書いている。
 
 もしこれがローマの女性であれば自由を愛するがゆえの尊い行為であると言われただろう。だがこれが、老いた黒人の女性のこととなると、手に負えない強情な奴だと言われるだけなのだ。
 
 ∧∧
(‥ )ビーグル号航海記
\‐  第2章の冒頭で出てくる
    話だよね
昔、エドワード・ギボンっつうチビデブがおってな
女にフラれたショックで3年間ほど引きこもったんだよ
で、久しぶりに部屋から出てきたギボンの手には分厚い紙の束が握られていたんだとさ
あのローマ帝国衰亡史の原稿だよ
数世紀の壁を越えて現代でも出版され続ける大ベストセラーさ


昔、ガウディっつう口下手がおってな
顔は悪くなかったんだが会話スキルがなさすぎて全くモテなかったんだと
それでガウディは悔しさをバネに建築学の勉強に打ち込んだのさ
数々の世界遺産級建築物をデザインしたあのガウディの話だよ
まっ、生涯童貞だったんだけどさ


つまり、失恋ってすげえ力を持ってるんだよ
お前も頑張れ
お前にゃできるよきっと何かが

ニュータウン構想での一番の問題は、神社を設計の中に入れないことだよな。 あれホント大事なのにな。

法被の背中にある「祭」という漢字は、「弔い」を意味し、中華圏では縁起が悪い言葉なのです。華やかな雰囲気を演出するどころか、まったくの逆効果。自らイメージダウンを演出していることになります。「知らない」ということは実に恐いことです。関係者の方々は誰も気づかずにアドバイスをする人がいなかったのでしょうか。