あけてくれ

7at1stroke:

この度、長らく詳細のわからなかったこの画像が、中世のオランダ人から見た仏教 を描いたものだということがわかりましたのでここに報告いたします。

http://www.kousakusha.co.jp/RCMD13/kircher02.html

学校の授業で、世界各地の紛争と難民問題について勉強した娘が宿題をもってきた。

「お母さん、ルワンダの虐殺って知っている?」

「うん。10年ちょっと前ぐらいかな、起きたのは」

「『今日は触れられなかったけれど、帰ったら調べてみてください』と言われたんだけど」

「まぁ、だいたいは知っているけどね」

「じゃ、なんで、起きたの?」

でもって、延々1時間ぐらい、質問責めにあったw

1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナとブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。

ルワンダ虐殺 - Wikipedia

もう20年たっていたのには、後で検索して驚いたんだけど。

「そもそも、どうして、ここまで殺しあったの?」

ツチ族フツ族の対立が原因と言われているが、正直、大した違いはないし、お父さんはツチでお母さんはフツなんて家もたくさんあったから、単純な民族対立が理由ではない。いろいろ言われているけれど、当時の政権が、フツ族出身の大統領の暗殺を機に、結束を固めるために行った宣伝活動が大きかったとみなされているね」

「それで、『殺せ、殺せ』ってなったの?」

「前に見たドキュメンタリーでは、たくさん宣伝はされているんだけれど、直接的に『殺せ』とは言っていないんだよ。このころのルワンダではラジオが主なメディアで、携帯電話もなかったし、『あいつらは敵、寄生虫のようにオレたちの血を吸って生きている』や『ツチを追い出せば、すべてが良くなる』みたいに悪口をラジオから聞かされていると、何となくイヤなムードができあがったんだろうね」

「そんなことで殺せるの?」

「毎日の生活の中で、あなたも、誰かのことを憎く思う瞬間ってあるでしょ。『先こされた』や『ずるい』とかね。たまたま、それをやったのはツチ族だと、『やっぱり、ツチは狡賢いな』という話になっていくんだよ。それが積もり積もっていく、その前のムードを巧妙に作ったんじゃないかな。だから、賢い人たちは『これはまずいだろ』と気付いて、加わらなかったんだよね」

「でも、なんで、エスカレートしていったの?」

「それなんだよね。最初は、ツチ族が殺されそうになると、かばっているフツ族の人も多かったんだよ。でも、『かばうお前も、奴らの仲間だ』となって暴力振るわれたりすると、もう、止めようがないというか。たぶん、ツチ族と勘違いされて殺された人も多かったと思うんだよね」

「なんで?」

「だって、ふたつの民族の差は、身分証に『ツチ族』か『フツ族』と書いてあるぐらいしかなかったそうだよ。外見上、多少の差があるらしいが、個人差の方が大きいから。ハッキリ確認するには身分証ぐらいしかなかったらしい」

「え、それだけなの? じゃあ、身分証を捨てちゃえばよかったじゃない」

「でも、身分証がないと、『お前は嘘ついて、逃げようとしているツチ族だろ』と見なされて殺されたんだと思うよ。たまたま外出したとき、身分証を忘れてしまったとかでもね。ツチ族を見つけたら殺してやると歩き回っていた民兵がどこにでもいたから。そういう民兵の目をかいくぐって、隣人を助けようとしたフツ族の人たちも大勢巻き込まれて殺されたそうだよ。もう、殺すのが、平気になっちゃったんだろうね」

「ひどいねぇ。ルワンダ、恐ろしいや、アフリカは」

「まぁ、でも、ルワンダという国がひどいというよりは、こういう組織的な宣伝を行うと、たやすく虐殺が起きることは、ヨーロッパでも、アジアでも、どこだって変わらないんだよね」

「えぇ、そうなの」

「例えば、ユーゴスラビア紛争の話は、授業の中で、出なかった? ボスニア・ヘルツェゴビナで起きた虐殺とか」

「出たよ」

「ユーゴでも組織的な虐殺事件があらゆるところで起きたよ。民族関係なく、お互いに報復しあって。ユーゴは、ヨーロッパの一部だし、テレビもラジオも発達していたんだけどねぇ。国連軍も介入していたのに、止められなかった」

「そうなると、どう考えたらいいんだろう。わからないや」

ルワンダでは、虐殺を生き延びた人たちやそれを傍観していた人たち、実行者たちが、和解をすすめながら、なにがまずかったのか議論しているよね。それでなんとなく、虐殺が起きる状況とはなんだろう。ってのは見えてきている。権力を握った人たちが宣伝できっかけを作り、それに国民がのっかって、少数者を排除しようとする」

「こんな恐ろしいことだって、わかっていたのに、止められなかったんでしょ」

「うん。だから、なんとなく世の中の意見がドッと一方向に流れていくのは、危ないなぁと意識しないと」

「もしかして、日本でも起きる?」

「うーーん、起きる可能性はあると思う。最近、新聞は嘘ばっかりとか言ってネットの情報鵜呑みとかw 街角で外国人への憎しみを煽るとか、割と見聞きするでしょ。ああいうのは怖いよね」

「そうか、そうだね」


娘に改めて言われて、考えると、結構、怖いよね。

虐殺へのレールの上で走り出したら、止められない気がしてきたよ。

65:スペースNo.な-74:2008/01/06(日) 00:15:36

野菜切るのを練習したり、料理の本を読んだ所で
一発で完璧に理想の料理が作れるわけなんて無いんだよ。
味付け、火加減、手際のよさ、盛り付けのセンス・・・
どれも実際に何度も料理を作っていくうちに上達していくわけだ。

「作ってみたけど美味しくできなかった・・・」
と言って作るのが怖くなって逃げ出し、、包丁さばきばかり磨いたり、レシピ本を片っ端から読んだって
いつになっても美味しい料理を作ることはできない。
ちなみに、私には保険会社で保険商品の設計を行っている友人がいますが、彼らは100%、保険会社の保険に加入していません。みんな都民共済です。この事実が、保険の手数料の高さや暴利の仕組みのすべてを物語っています。
職人気質の人は、たいていの場合、ユーザよりもはるかに理想が高い。この理想が高いことが、商品の品質を上げるかどうかは、まったく別の問題だし、また、ユーザがそれほど高品質のものを望んでいるケースも、実は非常に稀である。
MORI LOG ACADEMY: 自信作って本当か? (via ada) (via jinon) (via proto-jp) (via gkojay) (via tra249) (via exposition) (via semimarup) (via whimsy)
これはちょっと思いつかないな、という喩えが優れている。だから、「蝶のような花弁」なんていうのは落第だ。もっと、連想が遠くへジャンプしていなければならない。聞いた人は、「え?」と一瞬感じるが、しかし、「ああ、なんとなくわかる」となる、そんなぎりぎりの線がベストである。
11  都くん(茨城県) :2011/01/14(金) 09:44:20.41 ID:nfQaTMCV0

私が子供のころ、大正末年から昭和初年にかけては子供に新聞を読むことを禁じる家庭が
まだ沢山あった。新聞はうそを書く、誇張する、好んで醜聞を掲げる、大人はそれがうそ
または誇張だと察することができるが子供はできない。故に大きくなるまでは読ませない、
記事は選んで家長が読んでやるという家があった。これは明治時代からの名残で、昭和
十年代まで子供だった友に聞いたら、自分も読むことを禁じられていたと答えたから、
そのころまでそんな家があったと分かる。
(略)
 戦後新聞が読まれなくなったのは、小学校の先生が読め読めと強いたからである。ことに社説
を読めと読ませ、果ては「天声人語」を写させ感想を書かせたから、それで日本中の子供は
新聞嫌いになったのである。
 読むなと禁じればかくれてでも読む。読めと命じれば読まなくなるのが人間の常で、
なぜ読めと言ったかというと、新聞は常に進歩的で日教組や国労の主張を支持してくれた
からで、毎日それを子供に読ませればいずれ天下がとれると思ったのである。
だから新聞を読ませたければもう一度読むことを禁じるのがいいのだが、いくら禁じても
あの社説では読むものはあるまいと思われる。

山本夏彦「私の岩波物語」文春文庫より

アメリカの大学ではいわゆる「Writing 101」という、アカデミックな文章を書くトレーニングのためのコースが文理問わず必修となっている場合が多く、これがなかなか厳しいのです。

どんなことをやるのかというと、セメスターごとに五、十ページぐらいの小論文を五、六本ぐらい書かされるのです。テーマは講師やそのときによっていろいろです。ひとつの本を集中して読み、テーマを発展させていきながら小論文の完成度をシリーズのようにして高めていくこともあれば、ひとつのテーマに対して違った主張をもった学者さんや作家さんなどが書いた作品をいろいろ読んで、自分の主張を他人の文章を引用することによって論理立てていく、あるいは一方の主張を引用しながら他方を批判するといったトレーニングを延々と積んだりしていました。

Writing 101ではあくまで文系の小論文の書き方、偏見まるだしで言ってみれば、「自分の主張を名の通ったエロい人の言葉を借りながら権威づけていく」方法を学ぶという感じです。

運のいい人は「私、運だけで生きているんです」「運がよかったんです」と言います。
 実は「小さな工夫」をたくさんして努力もしているのです。
 運の悪い人は何もやっていなくて、運のせいにします。
 運のよかった人の「小さな工夫」に気づきません。
rpm99:

タケダ1967 on Twitter: “F先生って謙遜はしても弱音を吐かない人だと思うんですよ。曲げずにずっと描いてきたプライドや芯があるから。これ大昔のファンクラブ会報に載ったコラムなんすけどF先生にしては非常に珍しく辛かった時代を吐露してて当時僕もすごく驚いたんですよ。 http://t.co/gRQ97UVBEp”